2004年1月15日

 【フォルテピアノの魅力に取り憑かれて】

9月と12月の日本公演では、沢山の方に初めてお目に掛かることができ、素晴らしい体験でした。そんなとき、よく、『どうしてフォルテピアノを始めたのですか?』 と尋ねられましたので、そのときの自分を振り返りながらまとめてみることにしました。

 ピアノを習い始めて以来、当然進むべき道として歩もうとしていた音楽の方向性に、苦しいほどの疑問を持ったのは、大学2、3年の頃だったと思います。 高校時代からなぜか履修していた有田正広先生の「古楽実習」クラスでは、全く知らなかった楽譜・作品の読み方に度肝を抜かれるという経験をしながらも、初めて知るアイディアへの動揺と抵抗から、反抗的な態度に出たり、わざわざ背を向けるようにしていたのでした。

 ”そんなこと言われたって私はピアノでバッハを弾かなきゃならないんだから!”・・・と。
もちろん、自分の求める方向についての不安や疑問は、増すばかりで解決への道はさらに困難に、遠くなってしまったかと思われました。今まで来た道を ひたすら直進すれば晴れるものかもしれないという思いで、ぎゅっと目をつぶって過ごしていた大学時代、鈴木秀美・小島芳子デュオコンサートで、初めて1830-40年代のピアノ(グラーフ)の音色を聞いたのです。
 それまでは、あいまいな中間色のイメージしかなかったシューベルトやメンデルスゾーンの音楽が、ヴィヴィッドに、ときに儚く、そこに吹き抜ける ”風” とともに鮮やかに立ち昇り、ただただ驚きと感動でいっぱいになったのでした。これが最初の本格的なフォルテピアノとの出会いでした。

“フォルテピアノってなんだかすごい!”

 ロマン派の音楽はこんなにステキだったのか?! と完全に舞い上がった私でしたが、それでもしばらくはまだ現代のピアノ(モダンピアノ)にこだわって、曲の面白さを引き出す方法を探そうとしていました。モダンピアノとはまったく違う、まるで弦楽器のようなフォルテピアノには、戸惑いがあったのです。覗いてみたいなぁ、触ってみたいなぁ、でもこれでがっかりするような音しか出せなかったら立ち直れないかもしれない、あーどうしよう・・・などなど。

 でも、数年後 “フォルテピアノウィルス” に完全に侵されている自分に気づくことになります。アンドレアス・シュタイアー&プレガルディエン氏のシューベルト:冬の旅 のコンサートでのことでした。声とピアノの体温がともに高まり、沈み、同じ原語で語りあう…、こんな人間的で素晴らしい世界が存在するのに、それを見ることなしに一生終えたくない!! と すでに自分の心の中にあった見たくてもしょうがないものを見てみる決心をし、大学卒業後、小島芳子先生のお宅を訪ね、弟子入り志願をしたのでした。・・・そのときはフォルテピアノでオランダに留学することになるとは、想像もしていませんでしたが・・・。

 フォルテピアノと出会ってから、実際楽器の前に座って何か弾いてみようと思う勇気が出るまでにはこのように何年もかかりました。

 その後、私をとりこにしたあのグラーフを弾く機会がやってきました。ハンマーが弦を打つたびに、立ち昇った音が空中でその姿を揺らめくように変える様を何度も何度も確かめ、気づかないうちに経ってしまった何時間かを振り返って、私はどうかしてしまったのかと思ったほどでした。もちろん調律も初体験、チューニングハンマーを持ち、やっと純正3度の響きを探し当てた日、その集中度の高い静けさにしばらく身動きが出来なかったのを思い出します。フォルテピアノが運んできたすべての新しい驚きと喜びが、“ピアノ” ではなくて “音楽” の可能性を教えてくれました。

 オランダに留学してからは、室内楽漬けの毎日の中でますますフォルテピアノの魅力と威力を知り、無名の作曲家の作品にも宝物のようなレパートリーがあることを知りました。楽譜に書いてあることに素直に小細工なしにぶつかっていける感覚に夢中になりました。楽器を最大限に “使い切る” ことの快感とその効果!!

 オランダでの師、スタンリー・ホッホランド氏から学んだのは、本音で本気で音楽をする、という姿勢でした。湧き上がってくる感情に正直に、誠実に、自分の全てを出し切る彼の演奏に、レッスン中何度も涙を抑えることが出来ませんでした。どんどんアタマもからだも楽になっていったのと同時に、今までは浮かばなかったようなアイデアが ポンポン と出てくる自分の変化が楽しくて、毎日を夢中で過ごしました。

 こうして、始める前こそ躊躇していた私でしたが、あっという間にフォルテピアノの世界に入り込んでいったのです。

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2003年12月4日

「コアやまくに」演奏会(2003年12月9日)のプログラムノートより

フォルテピアノって?

 ひとことで言えば、現代のピアノのご先祖様です。神童モーツァルトやピアノの詩人ショパンの使っていたピアノは、今私たちがコンサートホールで目にする黒いグランドピアノとは見かけも音色も全く違うものでした。

 フォルテピアノについてお話しする前に、フォルテピアノのさらにご先祖様であるチェンバロ等の楽器について触れなければなりません。
J.S.バッハが活躍した1700年代前半(日本では8代将軍吉宗の時代)までの鍵盤楽器と言えば、
  1)宗教行事に欠かせなかったオルガン
  2)オルガニストの練習用として普及した、かそけし響きのクラヴィコード
  3)合奏独奏両方に使われたチェンバロ
の3つでした。それぞれの音の鳴る仕組みは、
  1)空気がパイプを通ることによって
  2)小さな鉄片で弦を突き上げることによって
  3)お琴のように指を使ってではないですが、楽器の中に内蔵された鳥の羽で作られた小さな
 爪によって弦をはじいて音を出す仕組み
となっています。

 さて、これら3つの楽器で音楽を楽しんでいた当時の人々の中に次第に、“もっと音の強弱や音色の繊細な変化が欲しい!”という欲求が生まれてきます。オルガンでは、生き生きとした跳ねるような表情は難しい。チェンバロははっきりした音色でダイナミックだけれでも、ピアニッシモのため息のような表情はつけにくい。クラヴィコードは非常に表情豊かだけれども何せ音が小さすぎる(2,30人にしか聞こえない)・・・。

 そんなある日、イタリアはフィレンツェで、メディチ家の楽器職人として働いていたチェンバロ製作家のクリストフォリは、チェンバロの中身(内部構造)を改造することを思いつきます。こうして、爪で弦をはじく“溌弦楽器チェンバロ”から、小さなハンマーで弦を打つ仕組みを持った“打弦楽器ピアノ”が誕生し、こうして「一台の楽器で、オペラやシンフォニーのような豊かな響きを楽しみたい!」という人々の欲張りな希望は、どんどんふくらみ、現代のゴージャスな真っ黒いピアノへと変化が起こり始めます。

史上初のヴィルトゥオーゾピアニストであったモーツァルトの子供時代は、まだまだチェンバロが世の中の主流で、あのベートーヴェンでさえ、幼少時代を過ごした家にはフォルテピアノはなかったと言われています。

 さて、彼らの活躍したウィーンのフォルテピアノについて簡単に説明しますと、まず見かけはいたってシンプル。桜やマホガニーの木で作られたボディーは磨いて素材をいかした仕上げで、チェンバロのように絢爛豪華な装飾が施されているわけでもなくピアノのようにつやつや真っ黒でもありません。小指の先ほどの小さなハンマーの表面には分厚いフェルトではなく、薄い革が張られただけで、タッチはとても軽く、敏感。音色は透明で、輪郭がくっきりとしているため、転がるようなパッセージも軽快かつ雄弁に物語ることができます。

 高・中・低音部それぞれの持ち味が、まるで室内オーケストラのように多彩。私自身、低音部のファゴットのような響きを初めて知ったときには、本当に驚かされたものです。弦楽器のようによく歌う中音部から次第に、細いフルートの響きのように透明さを増してゆく高音部の魅力は、とどろくように豊かに鳴る現代のピアノとは全く違う世界を、私たちに見せてくれます。またそれは、モーツァルト時代のウィーンの人々の美意識がどんなものだったかを知る手がかりにもなるのです。

 鍵盤数は、現代のピアノの88鍵に比べ一番小さなもので61鍵。現代のピアノでモーツァルトを弾くと、ほとんど高音部は使われないことに気付かれる方も多いと思いますが、彼は当時のピアノつまりフォルテピアノの全音域を目いっぱいに使って作曲しているのです。彼のようなやんちゃな天才(彼の手紙の中には決してお上品とはいえないような冗談が頻繁に見かけられます)が、決して真ん中の音域だけを遠慮気味に使うようなことはなかったわけです。

 その、“ぎりぎりいっぱい”なエキサイティングなフィーリングを、フォルテピアノによってお客様にも味わっていただけたらと願っております。      (平井千絵)

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