「アントレ」 2011年9月号
神倉 健


 2011年3月30日にリリースされたソロCD 「1840」 が9月号の 「CDの玉手箱 97」の
 「新譜試聴記」 に選ばれました。
 なお、執筆者の敬称などは省略させていただきます。ご了承下さい。   

フレデリック・ショパン(1810-49)
   1: エロルドとアレヴィのオペラ “リュドヴィク” の主題
      「私は聖衣を売る」 による 華麗なる変奏曲 作品12 (1833年)
ミハイル・イヴァーノヴィチ・グリンカ(1804-57)
   2: 「祖国へのあいさつ」(1847年)より − あるマズルカの思い出
   3: 「祖国へのあいさつ」(1847年)より − 舟歌
   4: 「祖国へのあいさつ」(1847年)より − 祈祷
   5: ノクターン “別れ” ヘ短調(1839年)
フレデリック・ショパン(1810-49)
   6: ノクターン 作品62−1 ロ長調(1845-6年)
   7: ノクターン 作品62−2 ホ長調(1845-6年)
   8: 舟歌 作品60 嬰ヘ長調(1846年)
   9: 子守歌 作品57 変ニ長調(1843-4年)
  10: 幻想ポロネーズ 作品61 (1845-6年)
  11: マズルカ 作品56−2 ハ長調(1843年) 
 
平井千絵(FP) Accustika PPCA-616


《新譜試聴記》  神倉 健
1840 〜 プレイエル・ピアノで綴る ショパン&グリンカ 
 周知のように古典ピアノの復興は、1960年代にモーツァルト時代の楽器を修復・試演することから始まり、以来、楽器そのものの研究だけでなく演奏法やレパートリーまで含めた包括的な調査・探究が深められ今日に至っている。
その過程で、いわゆるモダン・チェンバロの思想をピアノに応用した「モダン・フォルテピアノ」とも言うべき代物が登場したり、楽器に即した効果的な演奏法が未開発だったため、必ずしもそれ本来の魅力を十全には開示し得ない、いわば「消化不良」の演奏が行われた例もあったやに記憶している。そのため一昔前まで、古典ピアノは一部の好事家が興味本意で聴くもの、という印象が一般の音楽ファンには強かったのではないだろうか。

 しかし現在、この楽器に対してそうしたイメージを抱く聴き手は、殆どいないだろう。それは楽器の修復・製作技術が格段に向上したことに加えて、何より真正な演奏技法を習得した素晴らしい名手が数多く現れるようになったからに他ならない。彼らの演奏を聴いていると、この楽器が作曲家の真意を余すところなく汲み尽くす優れた表現の器であることが、たちどころに理解できる。今やそのレパートリーは古典派作品のみならず、19世紀のロマン派時代にまで拡大しているのである。

 我が国にも、この分野で大きな成果を上げている名手がもはや少なくないが、今回の演奏者・平井千絵は、その代表格の一人と言えよう。チェロの鈴木秀美と組んでショパンやメンデルスゾーンのソナタを録音し、すでにファンにも馴染みの深い存在だが、この度、1840年に作られたプレイエル製の楽器(製造番号9199A)を用いて、このピアノと同時代にパリのサロンで活躍した二人の作曲家ショパンとグリンカの作品を収めたアルバムをリリースした。
 桐朋学園大学を卒業後、オランダはデン・ハーグ王立音楽院で S.ホッホランドに師事した彼女は現在同地に住み、欧州各地や日本でソロ、アンサンブルと積極的な演奏活動を展開中である。中でも、「ウィーンのピアノに魅せられた作曲家たち」と題したリサイタル・シリーズは、音楽各誌で高い評価を受けている。

 本盤にはショパンと、彼を敬愛してやまなかったロシアの作曲家グリンカが1840年代に作曲した作品が収められている。とりわけグリンカのピアノ曲は、滅多に聴くことができない貴重な録音だ。ここには、1847年に出版された《祖国へのあいさつ》と題された曲集から3曲と ノクターン《別れ》 の計4曲が聴かれる。今日耳にする彼の唯一の作品、初の本格的ロシア・オペラと評される 《ルスランとリュドミラ》 の序曲から想起されるような颯爽とした快活さとは、およそ対極にある繊細で叙情味溢れる愛すべき佳品たちである。 一方ショパン作品からは有名な 《幻想ポロネーズ》 《子守歌》 《舟歌》 《ノクターン》 《マズルカ》 など7曲が選ばれている。

 指がハンマーに直結し、表現したい感覚や出したい効果が正確に伝えられる、とショパンに言わしめた プレイエル の楽器は、平井によれば モダン・ピアノ に比べ楽器と奏者の距離感が親密で「良い音が出るツボ」に填まると素晴らしい美音を紡ぎ出すという。 そんなこの楽器が、最もその魅力と薫りを発揮する曲ばかりを選んだというだけあって、ここに聴かれる作品は、いずれも プレイエル・ピアノ の特質と美点を味わうのに、この上なく相応しいものと言えよう。
 優美な音色で伸びやかに歌う高音、表情豊かに語りかける中音域の雄弁さ、聴く者(弾く者)をソフトに包み込む懐深い低音の奥行きある響き、どれを採っても モダン・ピアノ はおろか同時代の他の楽器でも、決して味わうことのできない至純の世界である。

 そして、こうした利点を縦横に活かし切った平井の演奏も、説得力に満ちている。
それは洗練された音楽性に彩られ、まさに絶品と呼ぶに相応しい。
古楽ファンのみならず、多くのリスナーにお薦めしたい秀盤の登場だ。


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