「レコード芸術」 2011年6月号
濱田 滋郎
那須田 務
石田 善之


 2011年3月30日にリリースされたソロCD 「1840」 が6月号の 「新譜月評」の【器楽曲部門】 で
 【準特選盤】 に選ばれました。
 なお、執筆者の敬称などは省略させていただきます。ご了承下さい。   

フレデリック・ショパン(1810-49)
   1: エロルドとアレヴィのオペラ “リュドヴィク” の主題
      「私は聖衣を売る」 による 華麗なる変奏曲 作品12 (1833年)
ミハイル・イヴァーノヴィチ・グリンカ(1804-57)
   2: 「祖国へのあいさつ」(1847年)より − あるマズルカの思い出
   3: 「祖国へのあいさつ」(1847年)より − 舟歌
   4: 「祖国へのあいさつ」(1847年)より − 祈祷
   5: ノクターン “別れ” ヘ短調(1839年)
フレデリック・ショパン(1810-49)
   6: ノクターン 作品62−1 ロ長調(1845-6年)
   7: ノクターン 作品62−2 ホ長調(1845-6年)
   8: 舟歌 作品60 嬰ヘ長調(1846年)
   9: 子守歌 作品57 変ニ長調(1843-4年)
  10: 幻想ポロネーズ 作品61 (1845-6年)
  11: マズルカ 作品56−2 ハ長調(1843年)


《準推薦》 濱田 滋郎
 19世紀前半あたりのフォルテピアノを使ってのレコーディングもめずらしくはなくなった昨今。 
これからは、そのさいベートーヴェン、ショパンなど限られた大家たちの作品を取り上げるにとどまらず、もっと隠れた存在、時には音楽史の波の中に忘れられた作曲家たちの作品を採り上げるという方向が、より盛んになってくるのではあるまいか。
 その兆候の例、と言っていいのか否か、
平井千絵 --- デン・ハーグ音楽院古楽器科に学び、S・ホーホラントや故・小島芳子の薫陶を受けたフォルテピアノの専門奏者 ---
が1840年製のプレイエル(パリ)を用いたこの新譜には、ショパン作品のほか、グリンカの作品が幾点か収められている。
いずれも幸い私の手許にあるロシア版グリンカ曲集に含まれている曲なので譜面を参照しながら聴けたが、「ロシア国民楽派の開祖」が残した
ピアノ曲はショパンのような華麗なヴィルトゥオジティには欠けるとしても、真率な詩情を込めたひとかどの作品である。
中でも 《別れ》 と名のついた1篇の 《夜想曲》 などは、情趣において忘れ難いものと言える。

平井千絵は、ショパン作品からは 作品12の 《変奏曲》 に始まって 《夜想曲》 2曲(作品62)、 《舟歌》、 《子守歌》、 《幻想ポロネーズ》 などを選んでおり、フォルテピアノの特性を生かしながら落ち着いた佳演を繰り広げる。
なお彼女は現在もオランダ、デン・ハーグに在住し、アムステルダム音楽院、デン・ハーグ王立音楽院で後進を導いている。

《推薦》 那須田 務
 平井千絵はオランダ、デン・ハーグを拠点として活動するフォルテピアノ奏者。
その新録音は1840年のプレイエル(イギリス式シングル・アクション)で弾いたショパンとグリンカ。
 選曲も「1840年以後に書かれた曲」。
それにしてもなぜグリンカか?  平井の解題によれば、グリンカは1844年から45年にかけてパリに滞在し、
そこで作曲された 〈あるマズルカの思い出〉 は当初 「ショパンへのオマージュ」 と名付けられていたという。
さらにグリンカにとってショパンは尊敬してやまない作曲家の一人で、 《マズルカ》 には特別な親しみを覚えていた。
 納得である。 グリンカとショパンの同じジャンルの曲を聴き比べる趣向も。

状態のとてもよさそうな楽器で実際その音色は大変に魅力的だ。
平井は大きく構成を見据えた上で自らの感性に従った自在な演奏を聴かせている。
グリンカの曲は一見西欧的に洗練されているが、どこかにロシア的スラヴ的な匂いがする。
ショパンの 《夜想曲》 作品62は作品の内面と直接対話するような精神的な深さがあり、透明感のある響きと繊細かつ多様なアーティキュレーションも含めてモダンのピアノとは一味もふた味も違った曲の魅力を引き出している。
ショパンの 《幻想ポロネーズ》 作品61の民族ダンスを彷彿させる力強いリズムもそうだが、ここでの平井は安直な感傷と甘さを退けた演奏で晩年のショパンの音楽の本質に肉薄する。
ここ数年来の歴史楽器によるショパンのディスク中5指に入る秀作。

《録音評》 石田 善之
 会場選びはもちろん、響きの美しさ、楽器の音色、演奏のテクニックなどの要素を十分に整えた録音である。
教会録音だがその残響時間から察するところ、大空間の大きな教会ではなさそうだ。
豊かで重厚、柔らかく暖かみのある響きが1840年製の楽器の響きを見事に引き出している。
録音も素朴かつオーソドックスに収録されているようだ。   〈93〉

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