「ムジカノーヴァ」 2010年1月号
小倉 多美子


      2009年10月11日に 東京オペラシティ リサイタルホール で開催された
             「ウィーンのピアノに魅せられた作曲家たち Vol.5」
             【エレジーと夜の歌】 −ショパン時代のエラールピアノで
          平井千絵 フォルテピアノ リサイタル Vol.5 の演奏会評です。
 なお、執筆者の敬称などは省略させていただきます。ご了承下さい。

        【演奏曲目】 
ショパン :
*プレリュード 作品45 嬰ハ短調
*子守歌 作品57 変ニ長調
*ノクターン 作品27−2 変ニ長調
*舟歌 作品60 嬰ヘ長調
*マズルカ 作品6−1 嬰ヘ短調
*幻想ポロネーズ 作品61 変イ長調
ミハイル・イヴァーノヴィチ・グリンカ :
*「祖国へのあいさつ」より 1.あるマズルカの思い出 2.舟歌
*ノクターン “別れ” ヘ短調
*ワルツ・ファンタジー ロ短調
リスト :
*プロイセンのルイ・フェルディナント公のモティーフによる悲歌
*3つの演奏会用練習曲より 「軽快」 「ため息」

 

  平井千絵
  フォルテピアノ リサイタル
  −ウィーンのピアノに魅せられた作曲家たち Vol.5−

 オランダのデン・ハーグを拠点にする平井千絵が2007年よりシリーズで行っている『ウィーンのピアノに魅せられた作曲家たち』の第5回は、リストとショパン、そしてノクターンの始祖フィールドに師事したグリンカの作品を、1845年製エラール(エモリピアノ工房所有)で演奏した。
(平井はこの3作曲家に、オペラへの強い思いの点でも共通点を見いだしている)。

 ロシア独自のオペラ創作に力を注いだグリンカには、祖国を題材にしたものだけではなく、ベッリーニやドニゼッティのオペラからのパラフレーズ、そしてマズルカやワルツ、ノクターンも多い。今回の平井によるプログラミングはそのようなグリンカ・ピアノ像を印象付ける点でもときめくもので、曲集 《祖国へのあいさつ》 から 〈舟歌〉 〈祈祷〉 〈あるマズルカの思い出〉 、そして、フィールドの弟子グリンカの本領発揮とも言うべき 《ノクターン「別れ」》 。
 グリンカもエラールに近いイギリスのピアノを使用していたとのこと。製作当初よりレペティションに優れすでに1821年にはダブルレペティションの機能を開発していたエラールを使い、グリンカは 《マズルカ》 に多くの和音連続や華やかな複前打音を盛り込んでいた。
 この1845年製を用いることにより得られた感銘は、それらが現在よりも遙かに高い解像度と歯切れ良さを持って響き渡ったことだ。響板上での今ほど張りの強くない、そして交差していない弦の響鳴は、現在の高性能ピアノが発するヴォリュームや倍音が混じり合う複雑さの比ではないが、また別の鮮やかさを立ち上がらせ、異なる質の世界への感銘をもたらす。ペダルをはずせば響きのキレの良く、明確なフレージングがそこには現れ、フレージングと極めて直結した演奏や直観な波動がもたらすストレートな響鳴は、鋳鉄される前の木型にダイレクトに触れたような温もりを感じさせる。

 エラールを愛した1人・リストからは、その音楽的才能を惜しまれたプロイセンのルイ・フェルディナンドのモティーフによる 《悲歌》 、《3つの演奏会用練習曲》 より 〈軽快〉 〈ため息〉 。
 同様に現在に比べ複雑な残響の少ない楽器での演奏からは、低音域においてもさっと変わるフォルテからピアノへの変化、キレの良い大型和音、カラッとした明るさなど、表情のコントラストや変幻が克明に浮かび上がり、ヴォリュームにおいてというよりも、表情の豊かさ・変幻という、より質の部分でのドラマ性に肉迫した。これらの曲を聴く限りだが、往時のリストはどの瞬間ももっと艶っぽく響いていたのかもしれない。

 休憩後、数々のショパンのなかで驚嘆したのが 《子守歌》 。
 程よい残響の低音域上で訥訥(とつとつ)と歌われていく温もりある音色の旋律がなんと甘いものだったことか。夢見心地の世界はまさにロマン派の面目躍如たるもの。ロマン派を代表する作曲家たちのリアルな世界を現前にしたコンサートだった。

 平井千絵は、デン・ハーグ王立音楽院古楽器科卒業、第7回園田高弘賞ピアノコンクール、第38回ブルージュ国際コンクール入賞、ベルギーでのIYAP国際コンクール第1位。古楽の重鎮 (vc) 鈴木秀美氏とのデュオCDで平成18年度文化庁芸術祭優秀賞。

(小倉 多美子)      

            (10月11日 東京オペラシティ リサイタルホール)

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